己をも見失う暗黒は自我の発狂と快楽の優美を齎した。



「あーあ……人形は喋らないもんなぁ……」

終に両翼すら引き千切れ、冷たく硬くなってしまった。

さっきまでいい声で鳴いていた鳥も、温度を失えばただの人形にすぎない。

もげた右と左を虚空に向かって放れば、ドサッという着地音と共にガラクタの山が崩れる音まで響いて反響した。

残った胴を、蹴飛ばして山の近くに寄せる。

くだらない。つまらない。

どいつもこいつも脆弱で、劣弱で、惰弱で、相手にならない。

つまらない。

「ふあーぁ……」

眠るくらいしかやることがない、か。

盛大なあくびに口元を手で押さえながら、ガラクタ山に背を向ける。

見えないながらも、時折崩れる音が発されるから、闇の中でも大体の位置を把握できるようにはなってきていた。

眠るための場所など決めてはいないものの、比較的汚れていない場所をみつけてはそこに横になっている。

俺は、小汚いことが好きなわけではないのだ。

「……っうわぁ!!」

と、突然、無骨な、俺のものではない声音が鼓膜を叩いてきた。

背後のガラクタ山へと、何かが降ってきたようだ。

ガラガラと、放棄した棒切れどもが折れたり崩れたりしてしまった。

脅えを含んだ、悲鳴とともに。

「あれえ?今回は間隔が狭いなぁ」

首を傾げながら山へと向き直れば、落ちてきたと思われる遊び相手が怯むような気配とささやかな殺気を差し向けてくる。

「んーでもまあそんなことはどうでもいっか。……ねえ?」

「っ……何者だ…!」

水分の抜けた、しゃがれた、耳障りな声。

「あー…そんなことどうだっていいじゃん。それよりさあ、ねえ、あんたさぁ、何か光るもの持たされてない?」

恐怖も予感すらも押し殺した声音が大体の位置を示してくれたから、俺はそちらへと顔を向ける。

闇の中でありながらも、俺は彼の居場所に大体の目処が立てられる。

けれど、やっぱり決定打が欲しくて。

「あ……」

「持ってるでしょ?点けてよ。これじゃあお互い顔すら見えない」

「………」

「俺はあんたよりずーっと前からここにいるんだ。だから、あんたが知りたいことに答えてあげられるかもしれない。ね?点けてよ。光」

「………っ」

何にも見えなきゃ、進展も後退もないよ?と促せば、息を呑み、警戒の色を濃くしながらも何かを取り出したようだ。

耳を澄ませれば、空気が揺れる音がする。

それを頼りに、俺は空を切り、地を蹴った。

カチン、と、金属の蓋が開くような音。

小さな眩い炎が彼の手元へ灯ると同時に、俺の足はガラクタを踏みつけていた。

やけに肉の削げ落ちた貧相な顔が眼前に現れる。

驚きに目を見開く姿は不恰好ながらに滑稽で笑いを誘った。

「まーたこんなのー?おっさんばっかりじゃん!」

がっかりー!!飽きたー!!

おそらく聞き耳を立てているであろう相手へ向かって、天井を振り仰ぎ叫べば、目の前の男の肩がビクリと震える。

「でもまあ、いっか」

足元のガラクタを再度踏みつければ、バキンと小気味良い乾燥した音を発しながら、一緒に砕けて粉々になった。

視線を寄せた男の目が、驚愕から恐怖へと色を変える。

ああ、いい感じ。

それでこそ。それでこそ俺の――。

「初めまして、俺の新しいお人形。ああ、今は小鳥かぁ。精々いい声で歌ってね。俺のために!あははははは!!」

この両翼がもげ落ちるまで。

見えないながらに自分で最高だと信じて疑わない、くっきりとした弧を描いて笑みを象り、俺はジッポを握る男の手に掌を重ねて。

「とりあえず、目を潰そうか!」

それからお茶にしよう!と白骨の山の上で高らかに宣言し、うっとり首を傾げてみせた。



マンホールの如く地面に埋め込まれた鉄扉を強く睨みつけながら、スクアーロは眉間に皺を寄せていた。

仕掛けられた集音マイクによって、穴の中の様子はそれとなく把握できる。

狂ったような笑い声と、許しを請う悲鳴が混ざり合って、耳鳴りを起こしそうだ。

「チッ…」

手近な壁に仕掛けられたスピーカーのスイッチを切りながら、スクアーロは片目を眇める。

一体いつまで、こんなことを……。

「いい具合に仕上がったな」

「っ!…XANXUS」

奥歯を噛み締め背後に立つ男を振り返れば、熱を孕むような色をしていながらも冷酷な光を宿す瞳にぶつかった。

怯えなどは持ち合わせていないが、ピリリと背筋に響く緊張感は拭えない。

「そろそろ頃合だろう。連れて来い」

放たれた言葉の意味を理解するまで、少々の間を要したのは……不覚だった。

が、脳が認知し、動きだすと同時に生まれた焦燥感は躊躇すらも吹き飛ばして。

「う゛お゛ぉい!本気なのかぁ!?危険すぎるぜぇ!あいつの衝動はもう俺ですら――」

「……てめぇ、いつから俺に指図するほど偉くなったんだ?あ?」

鋭い眼差しが俺を射る。

何があってもついていくと誓った男。

言は、絶対、だ。

「………」

「連れて来い。野犬は野に放ってこそ役割を果たす」

「……わかった」

眉間に皺を刻んだまま声を搾り出した俺に一瞥をくれると、XANXUSはさっさと背を向けてしまった。

悠々と、覇者の如く伸びやかな歩みでもって去る背中は、何もかもを飲み込み、喰らい尽くさんとする獣のようで……。

「それに」

王の名を戴くに値する、強者で。

「あれは、いたくお前を気に入っているようだし、な」

くつくつと喉の奥で嗤いながら廊下の薄闇に消えていく呟きを、正しく拾うことは出来なかった。







特殊暗殺部隊ヴァリアーの本部が据えられた屋敷、最奥の一棟には、ごく僅かな、限られた人間だけが存在を知る場所がある。

幾重にも施された鍵と錠。

木造、鉄製、合金製と、幾重にも重ねられた扉を全てくぐり、そこへ辿りつくには二通りの方法があった。

一つはスクアーロのようにXANXUSの駒の一つとして要職に付き、管理を任されるという方法。

だがこれは、今のところスクアーロとスクアーロが信を置く使用人数名にしか適用されていない狭き門である。

もう一つの方が、よほど簡単に開かれる門だろう。

方法は実に単純。……抜群のタイミングでXANXUSの不興を買うというだけだ。

粗相をする。

失態を犯す。

反抗的な態度を取るなどで、誰でも簡単に奴の不興を買うことが出来るのだから。

そうして、タイミングさえよければ、何重にも施されたセキュリティーを容易く突破してしまえるのだ。

――だが。

「………」

コツーンと間延びしたような音色が、ほの暗い橙の灯りに染め上げられた構内に反響する。

地面に埋め込まれた鉄扉をまたぎ、傍の壁にぽっかりと穴を開けていた入り口から、ひとつ、またひとつと、スクアーロは地下へ下っていた。

螺旋状の階段は底に近づくにつれ、闇の色を濃くしているかのようにさえ思える。


どこか湿ったような匂い。

数多の人間が、あの深遠の闇へと落とされてきたが、この階段を踏みしめたことがあるのは、たった三人。

スクアーロと、綱吉と、綱吉を閉じ込めたXANXUSだけ。

「………あそこから落とされた者に待っているのは……死だけだ」

綱吉が閉じ込められている部屋は、鉄板で覆われ、石を並べ、コンクリートで固めた上で防音材、防寒材を埋め込み、更に塗装しているというのに…。

「………」

幻聴だろうか。

悲鳴と笑い声が微かに鼓膜を震わせている。

……沢田綱吉が闇に落とされたのは、本当に突然だった。



XAUXUSが、初代ボンゴレの血を受け継ぐ者がいる、という信憑性のない噂から現実を拾い上げてしまったことが全ての始まり、だったのかもしれない。



いや……沢田の血筋がいまだにボンゴレと関わりを持っていたことがそもそもの原因なのだろうか。



沢田の子が、大いなる力を、純粋なボンゴレの炎を身の内に秘めているとXANXUSが嗅ぎ付けるのには大した時間を必要としなかった。



また、自分が正統なボンゴレの血筋ではない、ということを知るのにも。



「………チッ」

こんなにも日を空けずにココを訪れることになろうとは。

真の闇。

怒り、猛り、嘲笑したXANXUSが狂気すら孕みながら創り上げた、牢獄にして鳥籠。

残酷、残忍の限りでもって綱吉を閉じ込め………狂わせた地獄。

XANXUSの思想を疑うことはしない。

迷い、惑うこともない。

だが……一筋だけこの身に残る、ほの甘い理性が揺らぎをもたらす。


狂気が創り出した闇は、狂気を生んでしまった。

殺さなければ殺される。

初めの頃は脅え、泣き、喚き、逃げたい、助けてと繰り返していた幼子。

無理矢理開花させられた炎に衰弱しきっていた子供は、死ずら呑み込む闇に侵食され……ついに壊れてしまった。

己の痛みだけを恐れ、他人の痛みによって己が在ることを認識する、狂気の塊へと。

いつしか逃げようとする素振りすら失い、『遊び相手』を欲するようになってしまった。

おそらく俺が、俺だけが、綱吉の世界における理性の楔なのだろう。

あいつが接触する『人間』は俺だけになってしまっているのだから。

閉じ込め、封じ込め、ギリギリのラインで生かし続け、飼いならした狂気の申し子。

死すら脅かす無を欲する…災厄そのもの。

それが…それが―――。

「……う゛お゛ぉい」

この世に二本しかない鍵を差込み、重々しい音を立てながら扉を開けば、闇の世界はボロボロと崩れ去る。

「綱吉」

狂気の子は、石室の中央――白骨や肉片の混じる山の上で、楽しげに『人形』と戯れていた。

「綱吉」

「んー?なにぃ?スクアーロ」

『人形』からパッと手を離し、振り返った綱吉の瞳は爛々と輝いている。

血が滴る指を絡めて組む姿は、まるで祈りを捧げているようなのに……口は、目は、世界の全てを呪い、嘲うかのように弧を描いていて。

「また、遊んでくれるの?」

足元に崩れ落ちた『人形』を蹴飛ばしながら立ち上がった綱吉は、軽々と跳躍しながら床へと降り立った。

「……行くぞぉ」

「どこに?」

「世界に、だ」

最悪の狂乱が、解き放たれようとしている。





カウント2